参勤交代北山道

更新日:2021年11月01日

参勤交代の様子を描いた絵画の画像

参勤交代北山道とは…

 本山町には、「北山道」と呼ばれる参勤交代の道が残っています。高知城から見て 「北の方に抜ける道」ということから「北山道」と言われるようになりました。峻険な四国山地を越えて伊予に至る道は、古くから「修験の道」、「木地師の道」、「交易の道」などとして利用されていました。

道のはじまり

 律令期の当初、土佐への官道は都から阿波〜宇和島〜幡多と西回りで土佐に入るたいへん遠回りをするものでした。そこで、養老2年(718)に国司からの要請によって、 阿波から南下する海岸回りの新道が開かれました。

 その後、延喜16年(797)に北山越えの新道が開かれ、「日本後記」には吾椅(本山町寺家周辺)と丹治川(大豊町立川)に新駅が置かれたと記述があります。

 しかし、距離は短くなったものの四国山地を越える道はあまりに急峻なためか、次第 に記録に現れなくなってきますが、古代からの交通路として役割を果たしていました。

 近世になり土佐藩主の江戸への参勤は、室戸岬をまわる海路を使用していましたが、 天候による影響が大きいため、陸路の(注釈)野根山越え(奈半利町〜野根山連山〜東洋町)に 変わります。

その後、古代からの官道であった北山越えが再び脚光を浴び、6代藩主豊隆のときに 再整備が行われます。

以後は、城下から布師田、穴内、本山、川口、立川を経て、笹ヶ峰から伊予への道は 参勤道として使われ、一般旅人も利用する幹道として賑わうこととなります。

現在の国道や、県道が整備されてからは、ほとんど使われなくなっていますが、ところどころに石畳や石段・切り通しなど往時の道の様子を伝えています。

(注釈)野根山街道は、奈半利町から野根山連山を尾根伝いに東洋町野根に至る道です。

(延長35キロメートル余り。)詳しくは、高知県庁林業振興・環境部環境共生課にお問い合わせください。

山下家の門の写真

参勤交代時の休憩所であった郷士山下家の門(下関)

土居屋敷跡の写真

参勤交代の藩主の宿泊所であった土居屋敷跡(上街公園)

参勤交代北山道保存協議会について

 現在、参勤交代北山道の調査および保存・整備を図ることを目的に協議会が設立され、北山道に面した市町村教育委員会(高知市、南国市、香美市、大豊町、本山町)で 構成されています。

北山道を歩くイベント 「歩き・み・ふれる歴史の道」

 保存協議会では、2年に一度(11月ごろ)「歩き・み・ふれる歴史の道」と称し、参勤交代北山道を歩くイベントを開催しています。

 (注意)協議会事務局が2年度で構成教育委員会を持ち回りのため、開催時期は未定。
 お手数ですが、各市町教育委員会へお問い合わせください。

北山道を歩くイベントの様子の写真

参勤交代北山道へのアクセス

北山道への地図の画像
歩きやすい格好の侍のイラスト

お問い合わせ先

本山町中央公民館(文化財担当)

〒781-3601
高知県長岡郡本山町本山569-1
(本山町プラチナセンター内)
電話番号 0887-76-2084
ファックス 0887-76-2078

この記事に関するお問い合わせ先

中央公民館

〒781-3601
高知県長岡郡本山町本山569-1
電話:0887-76-2084
ファックス:0887-76-2078


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